山本由伸投手のWiki風プロフィール!学歴や経歴など生い立ちも紹介

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山本由伸投手のWiki風プロフィール!学歴や経歴など生い立ちも紹介 情報系

MLB屈指の名門であるロサンゼルス・ドジャースへの移籍が決まった山本由伸さんとはどんな人なのか?

あまり野球を知らなかった人でも興味が湧いたのではないでしょうか。

山本由伸さんの経歴について調査&まとめましたのでご覧ください。

山本由伸投手のWiki風プロフィール!学歴や経歴など生い立ちも紹介

山本由伸投手のWiki風プロフィール

1998年8月17日生まれの25歳。

身長178cm、体重80kgです。

家族構成は父・母・姉

お父様は県立東岡山工業高等学校の野球部のOBで勤務先で軟式ですがプレーをされていたそうです。

そして息子である山本由伸投手も2歳の頃からおもちゃのバットを持ってお父様のところに行っていたそうです。

お父様の影響もあって野球を始められたのは間違いありませんね。

岡山県備前市の出身です。

備前市は岡山の東の端で兵庫県との県境の市ですね。

岡山県の県南は比較的交通の便がいいので、備前市から岡山市も近いです。

備前市のふるさと納税の返礼品に日生(ひなせ)の牡蠣がありました。日生(ひなせ)の牡蠣は有名です。現地で食べるのもとっても美味しいです!が、ふるさと納税で届くのも便利でいいですね。

備前市の上の方には八塔寺というところがあり、地図上ではそのそばに(隣の市になりますが)、岡山国際サーキットがあります。

もしかしたら山本由伸投手も行ったことがあるかも?しれませんね^^

山本由伸投手の野球の始まりからプロまでの経歴

備前市立伊部小学校の1年の時から「伊部(いんべ)パワフルズ」で野球を始めました。

この伊部パワフルズのコーチを山本由伸投手のお父様が務められていたとのことです。

備前中学校の3年の時に、「東岡山ボーイズ」で全国大会に出場されています。

この時はまだ二塁手兼投手という二刀流だったそうです。

高校は、野球に集中できる環境をと宮崎県の「都城高等学校」へ進学。

ここでは投手として活躍されています。甲子園への出場は無いようですが、九州では有名になり、ノーヒットノーランや完全試合を成し遂げるなど驚異的な実績を残しました。

投手であり、右投右打の選手として2016年にオリックス・バファローズからドラフト4位でプロ入りしました。

2016年のドラフト会議でオリックス・バファローズから指名を受け、4000万円の契約金と推定500万円の年俸で入団。NPB入りは都城高校出身者としては22年ぶりの快挙でした。




山本由伸投手のプロ野球選手としての経歴紹介(オリックス)

2017年、5月9日に二軍(ウエスタン・リーグ)の広島東洋カープ戦で公式戦デビューしました。

初出場は2017年8月20日。一軍(パシフィック・リーグ)初登板初先発を果たし、5回7安打1四球6奪三振1失点という好投でプロ初登板となりましたが、勝敗は付きませんでした。

しかし、その後も先発機会を確保し、8月31日のロッテ戦でプロ初勝利を手にしました。

2018年には投球フォームの変更に取り組み、春季キャンプでは一軍でスタート。

開幕は二軍で迎えましたが、4月21日にリリーフとして登板し、プロ初リリーフ登板を経験。

その後もリリーフとしての活躍が期待され、特に6月3日からはリーグ歴代3位となる『15試合連続ホールドポイント』を達成しました。

その年は54試合全てにリリーフ登板し、4勝2敗32ホールド1セーブ・防御率2.89という好成績を残しました。

2019年は再び先発へ転向し、開幕からの先発登板で注目されました。

リーグトップの防御率1.63を記録しながらも、勝ち星には恵まれず苦しんでいました。

しかし、6月28日の西武戦ではプロ初完投初完封勝利を挙げ、その後も活躍を続けました。

最優秀防御率タイトルを獲得するなど、防御率1.95で自身初のタイトルを手に入れました。

このように山本由伸選手は、オリックス時代に数々の実績を残し、成長を遂げました。




2020年は新型コロナウイルスの影響で120試合制・開幕延期となりました。

その年のシーズン初登板初先発は東北楽天ゴールデンイーグルス戦であり、8回無失点の好投でシーズン初勝利を手にしました。

特に7月5日の西武戦ではNPBタイ記録となる『1イニング3死球』を与えたものの、7回2失点に抑えて勝利投手となりました。

さらに、同月12日の日本ハム戦では9回4安打13奪三振1失点で自身初の無四球完投勝利を達成しました。

その後、25イニング連続で奪三振を続け、日本人投手の最長記録を更新しました。

9月は月間5先発で4勝1敗・防御率0.73と素晴らしい成績を残し、自身初の月間MVPを獲得しました。

この年は18試合の先発登板で8勝4敗・防御率2.20を記録し、またソフトバンクの千賀滉大と並ぶ149奪三振で最多奪三振のタイトルを手に入れました。

2021年は自身初の開幕投手に指名され、開幕戦でシーズン初登板初先発。翌日のソフトバンク戦では9回2安打1四球13奪三振無失点のピッチングで完封勝利を収めました。

さらに、交流戦では3先発で3勝・防御率1.23と優れた成績を残し、MVPを獲得。6月終了時点では14試合に先発し、7勝5敗・リーグトップの防御率1.90を記録しました。

東京五輪への出場後も活躍を続け、後半戦も無敗で先発ローテーションを守り抜きました。

この年は26試合の先発登板で18勝5敗・防御率1.95、奪三振206と圧倒的な成績を残し、投手四冠を達成しました。




2022年はさらなる活躍を見せ、チームを26年ぶりのリーグ優勝に導きました。

この年は26試合に先発して15勝5敗・防御率1.68、奪三振205という成績で2年連続の投手四冠を達成し、さらにポストシーズンではCSファイナルステージで無四球完封勝利を挙げました。

彼の力でチームは26年ぶりの日本一を達成しました。

2023年、山本由伸選手はWBCへの出場後、チームに合流しました。

開幕6試合目のソフトバンク戦でシーズン初登板初先発し、6回85球で降板するも、2安打2四球6奪三振無失点の素晴らしい投球でシーズン初勝利を手にしました。

その後も成績は安定し、交流戦では3戦全勝し、6月13日の阪神戦では8回2安打無失点11奪三振の好投で甲子園での初勝利を達成しました。

7月8日の西武戦では9回5安打1四球13奪三振1失点と素晴らしい成績を収め、シーズン初の完投勝利を挙げました。

この時点で12先発で8勝3敗・防御率1.79を記録し、プラスワン投票により5回連続5度目のオールスターに選出されました。

そして9月9日のロッテ戦で戦後史上初の2年連続かつ、プロ野球通算100度目のノーヒットノーランを達成しました。

この年は防御率1.21を記録し、16勝6敗、勝率.727、奪三振169という素晴らしい成績で3年連続での投手四冠を達成し、チームのリーグ3連覇に貢献しました。

ポストシーズンではCSファイナルステージでの好投や日本シリーズでの活躍もありましたが、チームは日本一を逃しました。

その後、沢村賞や他の個人賞を受賞し、シーズン終了後の11月5日にはMLB挑戦が承認され、11月21日にはMLB球団との交渉が解禁されました。

山本由伸選手の活躍は素晴らしく、日本球界からMLBへの新たな挑戦が待ち遠しいところです。




山本由伸投手のプロ野球選手としての経歴紹介(ドジャース)

山本投手は2023年12月にロサンゼルス・ドジャースとの契約を結びました。

12年総額462億円という長期間であり、超大型の契約になりました。

次のシーズンではどのような活躍をされるのか、大谷翔平選手とともにどのようなプレーを見せてくれるのか、超期待です。

山本由伸投手のオリンピック他代表経歴

2019年、山本由伸選手は初めて日本代表のトップチームに招集され、メキシコ代表との強化試合で救援投手としてデビューしました。

そして同年の11月に開催された第2回WBSCプレミア12では、松井裕樹・森原康平の故障による辞退を受け、一度も経験のないセットアッパーとして起用され、日本代表の初優勝に貢献しました。

2021年の東京オリンピックでは、野球日本代表に選出されました。

大会では予選第1戦のドミニカ共和国戦で6回2安打9奪三振無失点の好投を見せ、準決勝の韓国戦でも5回1/3を5安打2失点で降板しましたが、チームの金メダル獲得に貢献しました。

その後、世界野球ソフトボール連盟が発表したベストナイン右投手部門にも選出されました。

そして、2023年の第5回WBCにも日本代表として選出されました。

1次ラウンド第4戦のオーストラリア戦では先発し、4回1安打無失点8奪三振の好投を見せ、1次ラウンド1位突破に貢献しました。

準決勝のメキシコ戦では3点ビハインドの場面から登板し、3回1/3を2失点4奪三振で降板しました。

山本由伸投手のWiki風プロフィールまとめ

岡山県備前市出身で、高校から親元を離れ野球に専念されてきた山本由伸投手がどのように野球人生を歩まれたのか調べました。

学生時代も凄いですが、プロ野球選手になってからの活躍も素晴らしく、メジャーリーガーになられるのも必然かなと思わせるものでした。

これからも応援していきたいです。

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